エネルギーの流れが堰きとめられて抑うつになる

抑うつというのは、失望や落胆とか深い悲しみとか絶望感というのとは全く別のものです。
よく間違えられるし、抑うつに陥っている本人も区別できていないかもしれません。

アレキサンダー・ローエンは、抑うつについてこのような表現を使っています。
「世界に対して反応する力が欠如している」(p.11)
「いきいきとした感情がなく、反応力がない」(p.16)
「自分自身に気づくことが欠けている」(p.21)
「過去の視点で生きていて、現在が否定されている」(p.19)
抑うつというのは、感情をいきいきと感じられない状態、生きることの現実味が失われた状態のことを言っているということがお分かりでしょうか。

抑うつに陥ったことがない人には理解しづらい状況だろうし、また、抑うつの真っ只中にいる人にとっては、感情をいきいきと感じるとはどういうことか実感できないかもしれません。

抑うつから抜け出した経験を持つ人だけが、落胆や悲しみと抑うつの違いをわかっているといえるかもしれないです。
私はまさに、今、抑うつから抜け出せそうな状況にあって、だからこそこの本と出合えているのだろうと思います。
四肢の感覚からはじまって、これまで脇、腰、胸、首、背中、頭蓋骨の中などを順に意識してきましたが、この本で強調されている「内臓の感覚」についてはこれからです。内臓に感覚があるってどんなこと?というレベルなんですが、他人さんの内臓の感覚に触れることはできないし、自分で感じていくしかないのかなと思っています。
「内臓の感覚」を取り戻すためには、いわゆる「丹田」まで深く呼吸を入れる必要があり、そのために身体の各部の緊張を取っていかなければならないとされています。これは私が声楽のためにやっていることと全くおなじです。私はこれをやらなければならないし、やることによって、うまく歌えることと、抑うつから抜け出すことの二つを達成できる希望があります。

ここ数日、意識しているせいか、身体のなかで何かが「流れはじめている」感じがあります。健康な身体というのは、絶えず流れていなければならないのかもしれなくて、それがせき止められて抑うつが起こっていたのかもしれません。
ローエンは、抑うつのことを「有機体の内部の力がなくなった状態」(p.84)とも表現しています。有機体のエネルギーが通過していく際に組織や筋肉が活性化され、感覚や感情が生まれ、思考や行動に結びつくのですが、そのおおもとのエネルギーが不足しているのだといいます。
確かに何年か前の強い抑うつ状態のときは、自分はただ息をしているだけで死体のようだと感じていた時期もあります。でも、最近はそうではなくて、何かが「詰まっている」「滞っている」という感じの方が強かったように思います。

抑うつ」という状態についてこうやって文字を使って説明すると、ひところ流行した「おとなの発達障害」や「アダルトチルドレン」や「新型うつ病」の外見に重なる部分があることに気づきます。
抑うつ状態というのは、外見上は淡々と普通の生活を営んでいても、世界に対する生き生きとした反応がうまく行えない状態です。見るからに沈み込んだりはしていないのに、本人には生きづらい苦しい感じがあり、周囲からは理解しにくいこともあるだろうと思います。

どういう診断のもとでも「抑うつ」は起こっているし、それを解決するための知恵がこの本にはあるように思います。
うつと身体 〈からだ〉の声を聴け