共通の物語がつなぐもの

ついでのついでです。

先日、英国の歌手スティングがTEDを扱ったテレビ番組でスピーチをしていて、ご覧になった方もおられると思いますが、故郷の造船業の町の思い出とイエスが復活した日のエピソードを絡めた歌詞の歌を披露していました。

エスが生まれた日のことを知っている日本人は多いと思いますが、復活した日のことを知っている人はそこまで多くないんじゃないかと思います。処刑され一度葬られたはずのナザレのイエスが墓から出て生き返る、信者でない者にとって不可解きわまりないエピソードが、クリスチャンたちにとってはクライマックス。聴衆がその歌詞に吸い込まれていくのが伝わってきて、彼らがこの物語を共有していることを確認するとともに、私自身もこの物語を知っている一人なんだなと奇妙な感覚を覚えました。

物語はこころの深いところに沈んでいて、私たちの意識に影響を与えています。
私はクリスチャンにならないことを選んだけれど、聖書の旧い物語や、イエスの語ったたとえ話などはかなりよく知っています。

私たちの共通の物語も振り返ってみると不思議です。
死者はお盆にあの世から戻ってきて、親族一同でお迎えすることになっています。
迎え火を焚き、盆おどりを踊り、子どもたちもその場に自然になじむことでその物語を受けついていきます。
私はこちらも違和感なく受けいれています。

物語と無意識との関係については、作家や心理学者の方が語っておられるのも読んだことがありあすが、個々のこころの中で人生を支えるという文脈のほかに、多くの人に語り継がれることで共有され、深い部分でつながっていく、無意識が響きあっていくということの不思議さがあると思います。

現代はメディアが発達し、世界中で見られている映画や読まれている小説があります。それらが世界の人びとを無意識のレベルでつなぎ始めているのかもしれないです。