夫の家は、一代前までは陶磁器を焼く小さな工場をやっていました。
15年ほど前までは、夫の伯父にあたる人が工場をやっていたので、何度か見に行ったことがあります。
数人の職人さんが、土をこね、ろくろを回し、筆を使って細かい文様を描いていました。
全て手作りです。
それを手作業で窯に入れ、焼き上げます。徹夜の作業になるときは、夫も手伝いに行ったりしていました。
私は、それを見て、「芸術的」だと思いました。
大量生産品にない価値があると思いました。伯父に、こう声をかけました。
「じゃあ、ここで作られているものはどれひとつとして同じものはないんですよね」
そのときの伯父の反応は、意外なものでした。
「いや、ちゃんと同じようにできるんや」
その後、この工場で作られる陶磁器は、料亭などにセットで納められることを知りました。数十枚、数百個というオーダーで、同じ品質のものを揃いで作るために、細心の注意を払いながらすべて手作業で作られていたのでした。
同じものができる、それが価値だったということです。
時代がすすんで、たいていのものがひとつの原版から大量生産できるようになりました。同じ品質のものがたくさんできるのは当たり前で、個性的なものには「芸術的」という評価が与えられます。
でも、人間がモノをつくるという原点は、何も変わらないんだろうと私は思います。
ヒトは、材料を集めて組み合わせ、モノをつくりますが、そのときに創造の泉から汲んだ水を必要とします。芸術であろうと、工芸であろうと、工業製品であろうと、その点は全く同じです。
昔は、市井に住むひとりひとりに、その泉にいって水を汲む技量が必要とされていたけれど、今の生活には、その技をきちんと身につける機会が薄れてきているのかもしれないとは思います。