芸術療法と、変わっていく身体

少し前の話に戻ります。

私は先日、村上春樹の小説『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読みました。
読み終わる頃に、胸の中心のあたりに、ごりごりとした硬いものを感じたんですよね。

あまり書くとネタばれと言われそうですが、この小説の終わりの方に、実際、主人公がからだの中心に何かを感じる場面が出てきます。彼の周囲のもつれた関係性がある程度整理され、そうして初めて胸にある硬く凍った芯のような部分が意識されてくるシーンです。

その場面を読んでいたとき、私の中にも硬いものがあるのに気がつきました。
比喩ではありません。本当に、身体の中の硬いしこり、筋の凝りのようなものです。

胸の中心、背骨より少し前の位置、ここは、『能に学ぶ身体技法』で、中丹田(なかたんでん)として紹介されていた場所です。『ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム』では、ストレスを受けると硬くなると書かれていた場所です。
 
 
次の朝、胸の塊はもやもや、ざわざわ、としたうごめきに変わっていました。
この表現では不安な感じにも取れますが、そうではなくて、塊がほどけてその辺りに漂っているような感じで、なんともいえない状態でした。うまく表現できなくてもどかしいですが。

私はこの日、ちょうど、「表現アートセラピー研究所」(※)のワークショップを受講することになっていました。

このワークショップでは、芸術療法のひとつ、表現アートセラピーを体験できます。芸術療法にもいろいろ流派があるのですが、この日はパーソンセンタード表現アートセラピーという方法にのっとってクレヨンやパステルで絵を描いたり、粘土でかたちをつくったりというようなプログラムでした。

ここに一日いるあいだに、興味深い、不思議なことが起こりました。

自由な雰囲気の中でクレヨンで絵を描いているうちに、胸のざわざわしたものがぽかぽか暖かいものに変わってきました。数時間のうちに熱いものがふんわりと上へ広がり、肩先までぬくもってきました。胸のあたりにあった硬さはいつの間にか消え、マッサージを受けたときのようなやさしい気持ちになり、最後に、愛しさが残りました。

硬く温度を持たないもの、むしろとても冷たいもののように感じられていた塊からこんなに熱いものが生まれてくることがとても不思議でした。

 
「ほぐれた」と感じたのは身体です。でもそれは同時にこころでもあります。
作用をもたらしたものは、私が絵を描き、粘土をこねたという行為によってです。その前に、読書をしたことも関係しているし、読んでいるとき、私は確かに、「源泉かけ流し」の贅沢を感じていました。

私は、身体のような、こころのような、どちらともつかないような部分で、「ほぐれていく」心地よさを味わっていました。

あれから数日たちますが、確かに胸の辺りの感触は変わっています。長い間緊張を続け塊になっていたものが、読書とアートを通じて柔らかくなり、適切に処理され、消えたように思います。

身体とこころ。たぶん、これまであまりにも、別々のものとして考えすぎていたのだと思います。今、自分が実際に体験していることを、真実であると受け止め、理論が唱えていることとのつき合わせていく作業が必要なのだと思います。


※表現アートセラピー研究所
表現アートセラピーは、絵画、ダンス、音楽などを組み合わせて内的な成長を目指すプログラムです。この研究所は東京にあり、講座やワークショップが行われていて、初心者も気軽に体験できるものも用意されています。私は関西地方で年数回行われているワークショップをこの夏に初体験し、今回が2回目です。
くわしくは、こちらのサイト→http://hyogen-art.com/
参考図書:「表現アートセラピー入門」(小野京子、誠信書房
表現アートセラピー入門―絵画・粘土・音楽・ドラマ・ダンスなどを通して