できるけどしないのとできないのは見た目は同じ

向山氏がドリルを「手抜き」と呼んでおられたので、ちょっとこだわっています。

手抜きというのは、やればできることをやっていないというニュアンスを含んでいますよね。
洗濯であれば、汚れのひどいところをちょっとつまみ洗いしたり、部分的に漂白剤でもんだりしてから洗濯機に入れるとしっかり汚れが落ちますが、つい面倒でいっぺんにやってしまいます。やろうと思えばやれることをやらない、これが、手抜きです。

でも、洗濯の初心者が初めて洗濯機を回すとき、とりあえず衣類を洗濯槽に入れ洗剤を投入しおそるおそるスイッチを入れたとすれば、これは、その人の精一杯であって、手抜きではないでしょう。

やっていることは、同じです。全部いっぺんにいれて洗濯機を回した、それだけです。

ドリルの話に戻ります。

問題を自分で作ったり、アレンジしたり、子どもたちの理解度に合わせて臨機応変の対応ができる先生が、既製品のドリルの便利さに頼っているのならば、手抜きです。
でも、そういうことが最初からできないのだったら。問題集がなければそもそも教えることができないというのなら、話が別だろうと思います。

見た目には同じです。できるけどやっていないのか、もともとやれないのかは、区別はつきません。

私は教育界には詳しくないので深入りはしたくないのですが、これだけプリント教材が出回っていたら、自分で問題を作ったりアレンジしたりするスキルはなかなか上達しにくいんじゃないかと勝手に想像しています。大事だけれど面倒だと思っていただいているのならまだ救えますが、周囲にできる人がいなくなれば、その大事さは伝達されていかないだろうと心配になります。