わからなくてできないのとわかるけどできないの間

できるけどしない、と、できない、のは見た目同じ というのは前項で書きました。

もう少し引っ張ります。

遅刻の常習犯というのはどこのグループにもいます。事情がある場合も多いでしょうが、
そもそも本人が時間通りに間に合うためのスキルを持っていないというのもあると思います。

時間に間に合うためには、スキルがあるんです。
自転車に乗ったり、平泳ぎで泳いだりするのと同じで、スキルをマスターすればたいてい誰でもできるようになります。

赤ん坊のときからできる人は1人もいないので、どこかで自然に覚えるのだろうと思います。
または、どこかで躾けていただいている。

コツは、とても簡単です。自分が身支度するのに必要な時間を計って覚えておくことです。
そして、その時間は自分のための必要な時間として確保する。
忙しい人は、予定を立てるときから、その時間をちゃんと見積もりの中に入れて予定を立てる。
家を出発してから目的地までの時間、身支度の時間を逆算して、
身支度を始めるときからが、その外出のための時間になるわけです。

実は、私はこれができない人でした。
人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」 (光文社新書)「人はなぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」」(島宗理、光文社2010)
この本を読んでからできるようになったのですが、(以前のブログでも紹介しています)
こんな本が出ているからには、同類の人もそれなりにいるのだろうと思います。

わかっている人から見れば、わからない人の気持ちは想像できないと思います。
やる気がない、言い訳ばかりして信用できない、といった印象だけが残ります。
本人は、どうしたら間に合うのか、さっぱりわからないんですよね。
気がついたら遅れている。遅れそうだと気がつくのは集合時間の直前です。


本題に戻ります。

何かの理由で、身支度を始めるのが遅れたために遅刻したとします。
やり方はわかっているのに、できなかったということです。
これは、くやしいし、恥ずかしいです。
叱られたら、次から頑張ろうと思います。

しかし、やり方がわからない場合は、叱られると自分が否定されたような気分になります。
できない自分自身の全てがくやしく恥ずかしいので、大きく傷ついてしまうのですよね。
気持ちをごまかしてしまうので、進歩がありません。
その場をとりつくろって、また次も同じ過ちを繰り返すことになってしまいます。


遅刻常習というのは、一つの例です。世の中のいろんな場所で、
とるに足らないスキルがないために苦労している人がたくさんいて、誤解されているのだろうと思います。わかっててやらないのと、わからないのは、見た目同じですから。