お金の質を問う

昨日は経済効果について「真」とか「偽り」とかいう言葉を使いましたが、そう簡単に二分できるものじゃないかな、と、思いなおしています。

質のいいものと悪いものがあって、スペクトラム的に連続している。中間的な質のものがたくさんあって、その中に特に質のいい経済効果とひどく質の悪い経済効果があるというイメージかな。


これに関して、思い出すことがあります。

中学生のときだったか、先生が授業中に脱線してこんなクイズを出したことがありました。

  うまみ調味料の会社が売り上げを伸ばすために取った方法は

当時うまみ調味料はビンに詰めて売られていて、キャップを外すと中蓋に穴があいていて、そこから振りかけて使うようになっていました。
先生はゆっくり時間をかけて生徒たちに考えさせたあと、だれも思いつかないのを見極めて、得意そうに正解を教えてくれたのですが、その答えとは、

  中蓋にあいている穴を少し大きくすること

でした。知らず知らずのうちにたくさん使ってしまい、消費量が増えるという話です。

それを聞いたとき、人を騙してお金を取るとはなんて浅ましい、いやらしいことだろうと私は思いました。それに気づかずニヤニヤ得意そうにしている先生が信じられないという気持ちになりました。あのときの気分の悪さはときどき思い出しますが、教室にいた同級生たちには打ち明けられず、ひとりで今まで抱えてきています。

この程度で質が悪いと言っていたのでは、今の世の中わたっていけませんね。人の気持ちを煽って商売するものばかり、罠にはまって要らないものをたくさん買わされています。

医療費だって、どんな内容であろうが、金額が大きければ、福祉予算をたくさん使っていると自慢する議員さんもおられると聞きます。

量を議論するのは簡単ですが、質を議論するのにはセンスが必要です。質は一元的ではなくて多様であり、用途や文脈が違えば、違う評価が出てきて当たり前だからです。その文脈が含むところまで議論によって合意できたとすれば、ある程度のすりあわせが可能ではないかと私は思いますが、
世間知らずなので実際なんともわかりませんが、かなり難しいだろうと思うのです。

質のよいお金のもうけ方があり、質のよいお金の使い方があります。
肌の感覚としてはわかっても、私たちにはそれを語る語彙がとても少ないように思います。
今回の都知事の件でも、ただやっかんでいるようにしか聞こえない言葉が横行して私は気持ち悪かったです。

隣の芝生かもしれないけれど、ヨーロッパの人たちの方が、質についてきちんと議論できるのではないかと想像しています。医療費を減らすには、ではなくて、医療費の質を上げるには、という方向性を持たなければ医療はよくなっていかないし、質の問題だからこそ医師が論文として発表し社会にアピールする意義も出てくるわけです。経済的な問題は量の問題だと思ってしまっているところが、日本がヨーロッパと違うところで、ヨーロッパの方が成熟した社会なのかなと思ってしまいます。

うまみ調味料の商売の方法を他の中学生はどう思ったのでしょうか。
子どものときからそういうことを話し合えるような学校だったら日本も変わるかもしれないですね。