長男の嫁にもいろいろあります

専業主婦、と書くと、最近は核家族の専業主婦のことを指しているんですよね。
 
長男の嫁、という話が、離れて住んでいる夫の親が急に骨折で入院し、洗濯物の世話をすることを指していたりします。

 
私は、結婚してこの方、21年間、長男の嫁として同居です。
 
義父は大正13年の生まれで、長男は同居して家を継ぐものと信じて疑わなかったし、夫もその考えに従い、私という結婚相手が決まる前に、二世帯で住むための家を新築していました。
そのローンを払っている状態のところに「お嫁さん」として入ったわけです。

義父は若い頃結核を患ったことで自分の健康には人一倍気を遣い、自分は特別な身体で、毎日ご馳走を食べないと生きていけないと思い込んでいるふしがありました。

義父には難聴と糖尿病があり、インシュリン注射をはじめてからの栄養管理は難しく、最後の方は認知症と頑固な便秘で大変気難しくなり、一言では言えないけれど、苦労しました。

義父が87歳で亡くなってから1年と数ヶ月になります。

今は、昼間は義母と二人きりですが、楽しいものです。もちろん気も遣うし、ケンカもします。
 

 
家から出られない「かくれ病人」は、そういうややこしい家の中で、何年も寝たり起きたりしていました。洗濯物と夕食づくり。ときどき掃除。昼間の時間はスーパーにぼんやりと買い物に行き、ぼんやりと昼寝するとすっかり終わっていました。

その夕食作りさえ、今考えると、かなりぼーっとした状態でどうにか作っていたように思います。包丁を握る手元がかすんで見えにくいと感じることも多々ありました。

栄養管理が必要な義父、成長期の息子、毎日晩酌する夫、に配慮した献立を、回らない頭で考えていました。

休めない。休んではいけないと思っていたように思います。
 

長男の嫁で苦労した、というと、夫をめぐる姑との確執というか、いじめられたとか、そういう話だと想像する人が多いようですが、実態は、全然違います。一緒に暮らしていると、もっと深い深い部分で価値観のぶつかり合いがあります。お互いに、常識だと思っている思考の枠組みが違うのです。それは、結婚すれば誰でも経験することだと思いますが、嫁に入ると、そのぶつかり合いは平等な立場で起こるのではありません。嫁の方が一方的に価値観を変えることを要求されるのです。人格の変容を要求されると言い換えてもいいぐらいのインパクトがあります。
 
そこを、私は乗り越えられなかったのだろうと思います。
 
 
私は病気になりましたが、今は回復の途上にあります。ブログの活動は、リハビリとしてはじめたものです。