合理的と手抜きは、たぶん違う

世代論だけじゃないとは思うのですが、夫の両親と自分の両親は10歳ちょっと違うだけで、大きく違う点があります。

私の両親は戦時中に生まれ、小学校に入ったときは戦争が終わっていた世代ですが、夫の両親は戦時中に教育を受けた世代だということです。

夫の父親は少しだけですが軍隊生活も経験しています。母親は軍需工場で終戦を迎えています。私の親は焼け跡の青空教室で粉ミルクの給食を食べています。

戦後、教育制度や教育の内容はがらりとかわり、社会の価値観も変わりました。


私が育ってきた環境を考えると、親が戦後世代だっただけじゃなくて、学校で接してきた先生も戦後世代に切り替わっていく時期だったんだろうと思います。その文化の中では、

  無駄を省き、合理的にものごとをすすめることは、良いこと でした。

でも、夫の両親と暮らし始めて、それがなかなか通じないことに気がつきます。彼らにとっては、
   

  
  今の若い人がやっていることは、ただの手抜き、自分が楽をするための、わがまま

に見えているようでした。


結婚した当初は私も30歳前でしたから、この違いにとても混乱しました。でも、今思えば、当時私が合理的と考えていたものの中には、確かに、ただの手抜き、自分勝手なわがままが含まれていたかもしれないと思います。

ビジネスの現場におられる方だったら私よりはっきりわかっておられるのだろうと思いますが、仕事のできばえ、質を落とさないためには、手を抜いてはいけないポイントはかならずあるものじゃないでしょうか。

また、一回きりのこと、短期的なことを考えれば合理的に見えることでも、ずっと先まで続けること、次の世代に技を伝えることなどを考えると、省いてはいけないプロセスもあります。

それがわかっていてなお、切り捨ててもいいもの、組み替えてもいいものを厳選していかなければ、本当の 合理的 にはならないんだろうと思います。