新人類と旧人類を分ける学生運動の記憶

私たちは、新卒で会社に入ったとき、新人類と言われた世代です。

融通が利かず、状況を察して動くことができない。自己主張が強いなどと言われましたが、その後の若い世代ではそれが普通になってしまったような気もします。

アスペルガー症候群の特徴ともちょっと似ていますね。

私たちが新人類と呼ばれたということは、旧人類がいるわけです。

夫は私より6歳年上なので、子どもの頃の話などちょこちょこ聞いたりするのですが、彼らと私たちの違いはおおきく二つあるように思います。

ひとつは、私たちは東京オリンピック以後に育ったということ。新幹線も高速道路もテレビもすでにあるところに生まれてきています。

そしてもうひとつは、私たちには学生運動の記憶がないことです。

夫はベトナム戦争の映像をよく覚えているし、べ平連の活動も子どもながら見ていたといいます。70年安保のときは中学生ぐらいになっていました。

私は70年にはまだ小学校低学年でした。学生運動というと、浅間山荘や、顔を隠してヘルメットをかぶった怖い人たちを思い出します。
かなり、反社会的なイメージがあります。

小学校にいる間に、中国からパンダがきたり、石油ショックでノートや鉛筆の値段がどんどん上がっていったりしました。大人たちが凄い、偉いと言っていたはずの総理大臣が、罪人になってしまう事件もありました。


うまくいえないけれど、夫までの世代は、自分と日本と世界の関係をある程度すっきりと捉えることができていたような気がします。私たちにとって、世の中と自分の関係は子どもの頃から、よくわからない、捉えにくいものだったように思うのです。

そのことは、新人類の特徴とアスペルガー症候群の特徴が似ていることと、少し関係があるのかもしれません。