手を抜かないために必要な底力

夫の両親は私の実の親よりひと世代上だというだけでなくて、この土地が関西ということも関係しているのかもしれません。

とにかく、手抜きということに対しては厳しかったように思います。

怖い顔して怒られました。

言われることはわかるのですが、手抜きをしないということは、手がかかるということです。

やったことがない人間にとっては、面倒くさいことばかりです。

でもそれを言うと、必ず言われました。

   私にできたことが、あなたにできないはずはない 

ちょっと前に、漫画家の手塚治虫さんを扱ったドラマでは、手塚氏がよく似たせりふを使っていました。映画監督の宮崎駿さんもドキュメンタリー番組の中で、大事なことは面倒くさいといっておられました。

仕事の質を落とさないためには、その面倒くさいことをやってのける力が必要なんですよね。

最初は面倒くさいと思っても、習練を重ねると、無意識にできるまでに上達し、大げさに考える必要もなくなってくる。やればだれでもできることなのに、やらないのは、怠けている。

やってきた人には、そう見えてしまう。今ならわかります。


でも、私は、その面倒くさいを乗り越えることはできませんでした。
抑うつ状態になると、普通にできていたこともだんだん面倒くさくなります。
新しいことにチャレンジしていく意欲もなくなってきます。

こころの中にあるエンジンに燃料が届かないような感じでした。


夫の両親を見ていると、平日も土日もなく、毎日規則正しく起きて、家事をしたり菜園の仕事をしたり一日中働いていて、だらだらする時間を持たないんですよね。身体がというより、生活が健康。深い部分にしっかりした力が蓄えられているように見えていました。

最近ちょっと、自分にもその力が戻ってきたような気がしています。ほんの少しですが。
この力はあるかないかというデジタルな測り方をするものじゃなくて、量の多さを測ることができるものだろうと思います。たいていの人は私ぐらいの年齢になると、だれでも少し衰えてきたと感じるものだろうと思いますが、私の場合は、かなりのレベルまで落ちてしまったので、戻ってきたところで平均以下だとは思います。

面倒くさいことに取り組むことが、少しだけできるようになってきました。

手を抜かないで、質の良い仕事をするためには、どうしても、その力が要るようです。