ヨーロッパの知識人を身近に感じる本

この本も以前から読みたいと思っていました。

歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア『歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア』(ウンベルト・エーコ岩波書店2013年)イタリアの哲学者が書いたもので、さぞ難しい言葉で書かれているに違いないと覚悟して手に取りましたが、ウイットに富んだやわらかい表現、実例を使った比喩を使ってあり思ったよりずっと読みやすかったです。雑誌などに書いたものをまとめたものなので、学術的に書かれるものとは別の語り口を持つのだろうと思います。

いくつか印象に残ったことがあります。

ネオ戦争について。
9.11以降のテロとの戦いは、それまでの戦争とは違う形態を持つというのは他でも言われていることですが、きちんと整理して説明してあり私にもわかりやすいものでした。
力関係の不均衡を是正する手段としての戦争はもう機能しなくなっていて、戦争はあらたな不均衡を生みだらだらと続いていく、もはや勢力がぶつかり合う場としての前線は存在せず敵は背後から敵味方区別できない形でやってくる。ちょうど安全保障関係の法案が論議を呼んでいる時期でしたし、昔風の戦争を思い描いて議論するとついていけないややこしい時代を迎えているのだなということを思わずにはいられませんでした。

大衆と知識人について。
ヨーロッパではこの区別はかなりしっかりと存在するという印象を強く持ちました。知識人には誇りに支えられた役割があり、この区別があることに私はどちらかというと好感を覚えるほうです。
大衆はマスメディアと不可分にあり、マスメディアのつかう言葉についても論じられていました。陰謀論を使って開戦が正当化された実例がいくつか紹介されていましたが、そういうものに惑わされないためにもこういう本を読んでおくべきなのだろうと思います。
いまの日本で知識人と大衆を分ける線はかなりグレイなんじゃないかと思います。分けて考えている人も少ないかもしれないです。この本には大衆とは切り離した位置から世の中を見ている目線があって新鮮でした。

ヨーロッパの「縛り」について。
この本にまとめられた論考はイタリア国内向けの雑誌などで発表されたもので、イタリアやヨーロッパ内の人びとに向けて書かれたものですが、彼らの文化や歴史が持つものを背負っているなという印象もありました。アダム以前の人類について書いた17世紀の本を見つけた話があったり、ヒトラーの著書の中で黒人のことを半分サルと書いたものが引用されていたりしました。私たちはヨーロッパで発展した科学の考え方を学んで使っているわけですが、これがもともとはヨーロッパで地域限定で発展したものだということを意識したほうがいいときもあるように思います。胎児は人間であるかとか、動物と人間に違いがあるかとかそういう議論はキリスト教の教義に照らし合わせた彼らのこだわりの部分であって、アジア人が同じスタンスで付き合うものではないようです。

こなれた素晴らしい翻訳も印象に残りました。
ヨーロッパではこういう知識人が人びとに語りかけているのだという臨場感がここち良かったです。