親子の関係性から自閉症スペクトラムの症状が生まれるという仮説(1)

久々に発達障害の話題です。

自閉症スペクトラムの原因についての議論は、私がブログ『雨の日は本を広げて』を書き終えた2013年ごろと比べると研究レベルではかなりの変化がありました。最先端の遺伝子研究の結果を踏まえると、特定の遺伝子が自閉症をつくるというような単純なものではなくて、遺伝的な要素とさまざまな環境要因との絡みで、私たちが「自閉症」ないしは「自閉症スペクトラム」と呼んでいる症状が形作られていると考えられるようです。以前言われていたような「生まれつきの障害」という決定論的なイメージは一般の議論の中になお残っているものの、新しい考え方も少しずつ受けいれられている状況にあるのではないかと思われます。

しかしながら、環境要因のひとつに「親の育て方」をとりあげるのは、「症状」を持ってしまった子どもの親を追い詰めることになってしまうためとても扱いにくいテーマですよね。
このデリケートな問題に果敢に切り込んでいる本を見つけました。

自閉症スペクトラムの症状を「関係」から読み解く:関係発達精神病理学の提唱

自閉症スペクトラムの症状を「関係」から読み解く:関係発達精神病理学の提唱

 

『自閉症スペクトラムの症状を「関係」から読み解く』(小林隆児、ミネルヴァ書房2017年)関係発達論というフィールドで、臨床場面で乳幼児と養育者の関係の取りかたを長い間観察してきた研究者によるものです。

結論からいうと、この著者は「親の関わり方」とくに母親の関わりを自閉症スペクトラムの原因としてかなり重視しています。乳児期の親子の反応のしかたにはタイプがあり、ある種「ひねくれた」甘え方をするタイプの乳児が、対処方法として幼児期に自閉症的な対人パターンを体得してしまい、「症状」を形作っていくという仮説です。この仮説は大胆な展開をしていて、神経症や人格障害、統合失調症などの各種精神疾患も、もともとは同一の乳児期の甘え方のタイプに起因し、それぞれの対処法の違いから別々の対人パターンに発展していくと考えられています。

ひねくれた甘えと私が表現したものは、本のなかでは「甘えのアンビヴァレンス」と名づけられています。「母親が直接かかわろうとすると回避的になるが、母親がいなくなると心細い反応。しかし、母親と再会する段になると再び回避的」というような反応をする乳児。慣れた観察者からは0歳~1歳台ではっきり見て取れるもののようです。

この反応が子どもの側の「生まれつきの原因」によるというよりも、養育者側の関わり方のパターンとの絡みで、「関係性」を重視して扱っていくのがこの著者のやり方で、臨床場面では養育者、つまりお母さんの内面にある「甘えのアンビヴァレンス」に気づきを与え、親子の関係性を改善することで、症状を変化させていくことに成功しています。

大人の中にある「甘えのアンビヴァレンス」については、自分にもあると感じる人も多いかもしれません。他人にうまく甘えられない、甘えたいのに自然に甘えられず意固地になってしまう対人パターンを持っている人はたくさんいるのではないかと思われます。不安な要素があると余計にそういう態度に出てしまうこともありがちだと思います。それが、甘えてくる赤ちゃんを素直に受けいれらない態度につながってしまう。

 そして、子どもがうまく甘えられなくなってしまう。それがきっかけで発達障害や精神障害につながっていく。。。。

もしそうだとしたら、かなり重たい話です。

親は「わざと」赤ちゃんをひねくれさそうとしているわけではありません。それまで生きてきた歴史、背景があって、うまく甘えられない自分がいて、うまく甘えさせることができない養育者になってしまっているわけです。本人としては精一杯頑張ってきた末に、もし、子どもの気になる症状の原因が親としての自分の態度にあるとされてしまったら、耐えられないだろうと思います。

そこをどう解決するか。

この本の著者が実践しているのは、先に書いたように親子の関係性を改善するような治療面接です。子どもの症状を主訴として訪れた親子に対して、親の気持ちを支持して話を聞きながら親の側の絡まった気持ちに気づきを与えていくということをしています。

このような治療は時間も手間もかかり、どこでもやれるとは限らないとは思いますが、少なくとも親の側にある葛藤に気づき寄り添っていこうとするスタンスを、支援する側の人間が持っていることが重要ではないでしょうか。

親の側には、子どもを持ったことを契機に自分を変えていこうとする覚悟が必要になってきます。

つきなみな言葉を使えば「親が変われば子も変わる」ということになるのですが、私はそれ上に、親以外の大人との関わりや、テレビや映画、読書などの影響も、子どもにとってはとても大事であるように思います。甘えのアンビヴァレンスと呼ぶような葛藤は世の中にはかなりありふれたものであるし、全てのケースが障害と呼ばれる難しい症状に発展していくのではなくて、葛藤があることが個性的な性格や才能を形作る上で大きな役割を持ち、また葛藤と闘うことが人生に深みや彩を与えているものでもあるのだろうと思います。

だから、慌てたり必要以上に不安に駆られるのではなくて、親は親として自分が成長していくことを続ける必要があるだろうと思います。また、親戚、近隣、保育士、教師などとして子どもと関わる大人たち、教材や遊具を供給する大人たちにも、一般的な責任を自覚した対応が求められていくだろうと思います。

子どもたちはさまざま遺伝的特徴を備えながらも「関わり」によって育つのであり、遺伝子のプログラムによって周囲と無関係に成長しているわけではないわけです。考えてみれば当たり前のことなのかもしれません。

もう少し続けて書きたいと思いますが、今日はこの辺で。