よすがとしての郷土史

ちょうど宮崎に戻る機会があり、伊満福寺を訪れてみました。

広大な敷地にたくさんのお堂や塔が建っていたとされ、明治維新期の廃仏毀釈によって破壊されたとされる伊満福寺。跡地のほとんどは宅地開発されたらしく、山頂に近い部分に寺地が残り、すぐそばから新しい住宅が立ち並んでいました。

かなり衝撃的でした。首から上が削られて顔がなくなっていたり、首が取れたのを接いであったり、石造りの仏像や弘法大師像らしきものの破壊のあとがそのまま残されています。大きな石碑や石灯籠に書かれた年号は江戸時代のもので確かに古くは大きな寺であったことを偲ばせます。神社に偽装してその場をしのいだという伝えのとおり一見神社の本殿ぽく見える本堂の中をのぞくと梵字が書かれていて、廃仏毀釈という出来事から100年以上経っていることを忘れてしまいそうになる場所でした。

写真は載せません。他の方が撮ったものは検索できますので興味のある方はそちらでご覧ください。

寺院消滅『寺院消滅』(鵜飼秀徳、日経BP社2015年)によると、廃仏毀釈の実態についてはよくわかっていないのだといいます。記録が消滅している上に、その事実がタブー視され、調査さえされていない、と、そう言われれば確かに調べるのは難しいだろうと思います。この本に書かれていて驚いたのは、鹿児島の廃仏毀釈の徹底ぶりで、仏像はバラバラにして山や川に遺棄されたのだということ。宮崎県の場合はまだ「ためらい」があって、後で復元できるようにナイフで切られたような切り口で首が落とされているのだと。

ということは、こう考えられないでしょうか。
鹿児島では、もともと何があったのか、それがどのように破壊されたのか、跡形もなくなくなっていて調査することもできなくなっているとすれば、伊満福寺のように、当時のことがわかるような形で残っているのはある意味貴重だといえないでしょうか。
そこで何が起こったのか、忘れてしまってはいけないのだと思うのです。

文化財がなくなっているわけだから、文化財の調査としての予算はつかないのだということもこの本に書かれていました。確かにその通りだと納得する一方で、私たちが歴史を知らなければならないのは、そこに文化財があるからとか、観光開発に利用できるからとか、そういうことじゃないのだと強く思いました。私たちは、私たちの来歴を正しく知る必要があるのだと。住んでいる町の名前や道のつけられ方や、しきたりや習わしなどが、どんな文脈を背負っているのか理解することによって、初めて、受け継がれていく命の中での自分の立ち位置に気づくわけで、歴史、特に郷土史を知ることは、私たちの人格が成熟するために欠かせない、とても大事なことなのではないでしょうか。

自分が自分であること、自分自身の「よすが」としての郷土史

どうか、今残されているものだけでもきちんと調査されて後世に残っていきますように。