改めて教養って何でしょうか

このブログの最初に、私自身の教養コンプレックスについて書いた覚えがあります。

私には教養がない、それが恥ずかしいと思ったし、それは親に学歴がないせいだったり、地方の出身だったせいだったりすると思った、そのことを書いたと思います。

でも、今活躍している知識人の方々の中にも、地方出身で親に学歴がなかったという人もいるわけで、それを言い訳にしているのは情けない話なのかもしれないです。

恥ずかしかったら学べばいいわけで、やる気になれば数ヶ月から数年のうちに何らかの成果が出るものだろうと思います。そのやる気にブレーキをかけているのがコンプレックスの罠で、そこから抜け出す方法さえわかれば人生は開けてくるのだと思います。

人は、変われます。
今回、オペラ出演にあたって声楽のレッスンやロルフィングに通い、演劇や舞踏のワークショップに行き、自分がどんどん変わってくるのを実感しました。
扉を叩いた人にはその扉は開かれるのであって、大事なのは叩くかどうかなのだと思います。
自分で自分を縛っている罠が、その扉を叩くことをためらわせているんですよね。

綺麗な姿勢で歩くことや丁寧な所作でものを扱うことは、身につけたらいいこと、できることが望ましいことだと、普通はだれでもそう思うのかもしれません。でも、なんだか私の中で、そういう品をつくったようなのはこっぱずかしい、自分にそぐわないという思いがあって今まで受け入れることができませんでした。できる人が羨ましいという思いは持ちつつ、自分はできない人の立場にとどまり続ける、これがコンプレックスですよね。

何を志すにせよ、上には上があります。コンプレックスにつかまって足踏みしている場合ではなくて、扉を叩き続け先へ進まなければそれなりの域に到達することはできないです。それがわかっている人にはためらいがありません。その、ためらいのない生き方こそが、教養というものを支えている大事なものなのではないかと今は思います。