そのぬるま湯を気持ち悪いとわかるのは才能です

北の方の鉄道の会社で保線管理の不備が問題になっている、と、報道されています。
こうなるまで誰も気がつかなかったわけじゃないと思います。
内部の人の中には、このままじゃ事故になる、と、思った人もいたに違いないと思います。

でも、いちど組織に組み込まれたら、声を上げることができなくなる。

この会社に限らず、これまでもいろんな不祥事が取り沙汰されてきましたが、内部事情を知っていてもそれをどうすることもできなかった多くの人たちがその背後にいたはずです。
先輩から受け継がれた悪しき習慣が自分たちにはなんらかの意味で都合のいいことであったりする場合は、新人が声を上げることによってそれを正すことはほとんど不可能に近いんじゃないかと思います。
気がついたらぬるま湯の中にいる。
お湯は生温かいけれど、その周囲の空気はよどんでいます。

日本中の無数の組織の中でこういうことが起こっていると思います。
 


発達障害の勉強をしてきて、いくどとなくこのような「気持ちわるい空気」のことを思いました。
この空気を気持ち悪いと敏感に感じとり、葛藤して心身の調子を壊す人間。
物怖じせず正論を吐き続け、はじき出される人間。
周囲からは要領が悪いと思われ、対人能力が弱いとか、社会性がないとか言われる人間。
そのような少数派の人たちが、広汎性発達障害アスペルガー症候群とラベル付けされていないかと心配になります。

そのぬるま湯を気持ち悪いとわかる能力は才能ですよね。
でもその才能が上手く活かされていないだけなんだと思うのです。

 
空気を入れ替えるためには彼らの力を含めてさまざまな力を結集することが必要なのだと思います。世の中の議論を見る限りそのやり方は確立されておらず、うまくいった場合は個々のケースとして記録されているだけのように思います。