メルヘンの秘密は源泉かけ流し

本を読むブログを3年やってきて、小説や詩集といったものは数えるほどしかやりませんでしたね。


子どもの時は物語は大好きでした。グリムやアンデルセンの童話、少年少女文学全集、探偵物やSFなど、かなりの量を読んだと思います。
中二の頃、急に小説が読めなくなりました。
登場人物をいきいきと思い浮かべることがどうしてもできなくなってしまったように思います。
その後、中原中也、啄木など、詩集を手に取ることが多くなり、
高校、大学時代は、教科書以外小説は何を読んだかな。本が好きでかなりの分量を読んでいるわりには、文学と呼べるものはあまり読んでいません。

大学に入る頃には文学に対してひどい苦手意識がありました。

 
そのずっと後、息子が不登校になって、自分も心身の不調に悩み、精神的につらい日々を送りました。かなり深刻な状況だったと思いますが、どうにか回復してきました。そのときに自然と思い出したのは、小さいときに読んだメルヘンの数々でした。

魔法にかけられた王女や王子が、愛の力で魔法を解かれてハッピーエンドになる話。
氷のかけらが目に刺さって冷たい心になってしまう話。
亀の背中に乗って海の底の別世界に行き、帰ってくる話。

みんな、私が経験したような深刻な闇の世界のことを表しているんじゃないかと思えてきたんですよね。
こころが闇をさまよっているあいだ、身体はこころと切り離され、感情がうまく感じられず、からだの動きも鈍くなり、外見は醜くなり、こころは冷たくなります。
こころは現実と別な世界でべつなものたちと対話しています。その世界を生き、そこで成長をつかみ、戻ってくるのです。

私は、この世界に戻ってくるときに、メルヘンが私を支えてくれている感覚がありました。
同じような道を通ってきた人たちが大昔からいるんだと信じられる安心感がありました。
これでいい。これでよかったんだと落ち着くことができました。
その力はとても大きかったと思います。

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今でも文学全般には苦手意識がありますが、村上春樹のものは数冊読んでいます。『1Q84』は舞台になった時代に東京に住んでいたこともあり、情景の中にどっぷり浸かって楽しめましたが、読みながら、ああ、これも別な世界に行って戻ってくる話だな、そして戻ったとき、自分も、世界も、少しだけ違っているんだな、って思いました。

村上氏は物語が人の深い世界を支える力を持っていることをよくわかっている作家だと思います。物語の持つ力は、人間の個人の力ではなくて、創造の深い泉から湧き出る力なんだと思いますが、村上氏はその源泉から上手に汲んできて私たちに提供して下さるんですよね。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹文藝春秋)は、私にとってはひとつのメルヘンとして読めました。多彩な登場人物が出てくるけれど、主人公がひとりで問答している深い深い世界を描いているように思えました。日本を襲った大きな災害を受けて、運命によって絆が強引に断ち切られ、解離的な状況に苦しむ多くの人たちに向けて、この物語が支えになることをこころから祈って書かれたもののように思いました。

創造の深い泉から湧き出るメルヘンの力、ああ、源泉かけ流しだー。なんて贅沢なんだろう。

メルヘンの力のすごいところは、読んだときは奇妙な珍しいお話だとしか思っていないのに、いざ自分が深い闇に落ちたときに、その物語が記憶の中からよみがえって自分を支えてくれることにあるのだろうと思います。

村上氏のこの物語は、今わからなくても、いつかわかるときがくる、といった類のもののように思います。そういう私も、いつかもっと深いものを受け取ることができるのかもしれません。