発達障害の新たな知見−ダイナミックに変化していく個性として

以前”雨の日は本を広げて”というブログを書いていました。更新終了してからすでに3年以上経っているのですが、ここのブログより一桁多く読まれ続け、先日アクセス総数が40万を超えました。ありがとうございます。嬉しいと同時に、こうやって発信することの社会的責任も感じています。

”雨の日は本を広げて”は、発達障害、とくに成人期に発達障害と診断される高機能の人たちのことにテーマを絞っていました。当時、発達障害は日本で一大ブームになっていて、自称発達障害の人たちもたくさんいたし、誤解も偏見もたくさんありました。そんな中で、不登校の子どもを持った私は、周りの人から診断をすすめられて迷ったり、また、自分も発達障害だろうかと悩んだりしました。関連本は次々と出版され、毎月10冊、15冊のペースで読んでいたこともありました。勉強会や講演会にも行きました。でも、私は、当時言われていたような「生まれつきの脳の機能障害」という表現にはどうしても納得できないものがありました。

私はブログを書く作業の中で、この「生まれつきの」という表現が、「育て方が悪いためではない」特に「母親が悪いからではない」という文脈を持つものであることを発見しました。逆に言えば、それ以上の意味はないということです。
脳は生まれたときに出来上がっているのではなく、生後数年間はダイナミックな発達をするし、その後も訓練や環境によって変わっていきます。脳には可塑性があるのだから、育て方や環境に何か原因があって問題が出てくる可能性は簡単に否定できないし、また、小さいときに大きな問題があっても、育て方や環境によっては目立たなくなることも十分あり得るはずです。
また、どんな脳を持って生まれてきたとしても、育て方や環境の中で人格は発達するのであり、今の状態像は生まれ持ったものと育ってきたものを総合した結果であるはずです。また、問題として出てくるのは環境への不適応行動ですが、これは本人と環境との不一致であって、本人だけが問題なのではないはずなのです。

当時は、「生まれつき」を否定することがタブー視されるような風潮がありました。母親が悪者にされた嫌な過去を思い出すという理由で、専門家の人たちが声を上げネットで論争があったり、それは、素人の私から見ても、真実を追究する科学的態度とはとうてい思えないものでした。
診断と言われるものも、特徴がいくつ当てはまるかというような点数制のもので、似たような特徴をもたらす他の原因との区別をつけているとはとても思えませんでした。
「KY」が流行語になったり、要領よく嘘をつける子にしなければと親たちがやっきになっているのを見聞きしたり、私は混乱していました。そんな中で、私は力の限り発信し続けていたように思います。

3年の間に、発達障害について新たな知見が発表されたし、診断基準も変わりました。私がブログで書いてきたことは、おおかた間違いではなかったし、私が書いてきたことが何らかの社会的な貢献をできたかもしれないと嬉しくも思っています。
そのような、最近の知見をよくまとめてあって、とてもわかりやすい本を見つけました。

発達障害の謎を解く NBS (日評ベーシック・シリーズ)発達障害の謎を解く』(鷲見聡、日本評論社2015年)発達障害の原因は遺伝なのか環境なのかという問題への現時点での答えを解説することに半分以上のページが割いてあります。おおきな結論として言えることは、最近の科学の知見によれば、遺伝か環境かという二律背反的な発想をすることが間違いなのだということです。時代は新たなステージに立っておりさまざまの病気や障害を遺伝と環境の足し算または掛け算として捉える必要があるようです。私たちはこれまで考えられたよりずっと多く、病気や障害になる可能性を持った遺伝子をそれぞれ持っており、それが発現するかどうかは環境や生活習慣によって左右されるということ。

発達障害という状態を作り出す原因はひととおりではなく数種類考えられることにも触れてありました。ひとつの遺伝子異常や周産期の問題などで起こる例が少数あるのに対し、大多数は遺伝子と環境や生活習慣が両方絡み合って起こっていると考えられるそうです。これは、高血圧や糖尿病などについて最近テレビなどで話題になっている多因子遺伝病という考え方と同じです。また、エピジェネティクスにも触れてありました。発達障害が「固定的で変化しないという先入観を捨て」遺伝要因と環境や生活習慣などが絡み合いながら刻々と状態像を変えていくという前提で研究をすすめるべきだと書かれてあり、本当に新しい時代になったのだな、と感慨深かったです。

「育て方が悪いわけではない」という文脈を作り出した「冷蔵庫マザー説」などの歴史的経緯についても触れ、テレビ視聴の影響や水銀などの科学物質、ワクチン接種など物議をかもしたさまざまの環境要因についてもひとつずつ取り上げ現時点での見方を解説してあります。

最終章では、2014年にDSM-5の日本語版が発行され、発達障害ではなく「神経発達症」という名称が採用されたことを紹介し、障害というこれまでの固定的な見方を変える必要を説いてありました。ASDは不適応や精神疾患のリスク要因であるけれど、同時に個性でもあり、その人の人となりを構成しています。発達、成熟というプロセスを通じて、さまざまに変容する姿を捉えようという研究はまだ始まったばかりのようです。

私はこの本を読んで、自分が以前に抱いていた疑問のほとんどが解けるのを感じました。もうすぐ、私が以前に書いたブログも役割を終えることだろうと思います。