空気を読むと暗黙のルールが見えなくなる

最近の若者のことを、デジタルネイティブというのだそうです。生まれたときからパソコンがある。確かに、うちの息子もその世代にあたります。

私たち50代がおそらく、生まれたときにはまだテレビがなかった最後の生き残りです。


ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム前回の記事でもとりあげた『ユルかしこい身体になる 整体でわかる情報ストレスに負けないカラダとココロのメカニズム』(片山洋次郎、集英社)には、子どもの頃から情報に囲まれていると、カラダの反応じたいが変わってくるということが書いてありました。

今の若い人たちは、情報をまともに受けるとカラダが持たないことを知っているので、すぐ反応するがすぐに忘れる、集中するが、持続せず、リフレッシュするべきときにはちゃんとする。
適当にリセットしなければ身体が持たないことを無意識にわかっているのだろうというんですね。

中年以上のカラダは今の情報量では長時間集中しすぎて固まりやすい。

そんな現代若者論の中に、興味深いものがありました。

現代の若者は”場の空気”に敏感で、あらゆる刺激にとりあえず身体が反応する。その結果、「ことばの裏表」や、大前提となっている暗黙のルールが理解できなくなってしまうという話です。

発達障害の勉強をしているとき、ことばの裏表が読めなかったり、暗黙のルールがわからないことは、場の空気がよめないこととセットになっていたように思います。そしてそういう現象があると、有無をいわさず広汎性発達障害のくくりに入れられていたように思うのですが、この本の文脈では違いますね。

空気を読みすぎるから、ルールを見失うと言っています。

これが正しいんじゃないでしょうか。現代若者のほとんどは、発達障害だからルールがわからないんじゃなくて、空気を読みすぎているんです、おそらく。
その場その場の小さなルールがころころ変わる。だから、文化全体で共有されている大きなルールを自分のものにしていく機会がないんだろうと思います。

この現象とほんらいの発達障害をしっかり区別した上で、相互の関係を見ていく必要があるように思います。