日本の臨床心理界の特殊な事情

この本を読みました。

セラピスト『セラピスト』(最相葉月、新潮社2014)ノンフィクションの作品として臨床心理の世界を描いています。日本だけの事情も踏まえて、日本人の、専門家ではない人の目を通して書かれていることで、見えてくるものがあると感じました。

日本の臨床心理学の業界には流派がいくつかあるということは聞いていました。日本で心理職の国家資格化がなかなかすすまない背景のひとつにそのことがあるとか、そういう書き方をするとゴシップ的な見え方になるのですが、この本では、淡々と丁寧に、日本に臨床心理学が入ってきた流れを整理してあります。ありがたいです。

日本で臨床心理学というと、河合隼雄ユング心理学がとても有名なのですが、それ以前に日本にカウンセリングを広めたルートの一つに、占領期のGHQがあるということらしいんですね。
ロジャースの来談者中心療法といわれるものです。これもかなり一般的に知られています。助言も指示もせず、受容的に話を聞くことによって、クライエントの成長を促す。カウンセラーというのはそういう仕事をする人というざくっとしたイメージがあります。
ロジャースはその当時は、アメリカ本国ではたいして注目されていなかったということも書いてあります。日本に持ち込まれて、日本で流行したということらしいです。

もうひとつの流れが精神分析的なもので、ユング心理学もこちらに入ります。夢を分析したり、箱庭療法やバウムテストなどの描画を使ったり。この本では著者自らが体験してその感想を細かく報告しています。精神療法が行われる部屋の雰囲気が伝わってくるのも貴重です。

日本で流行したロジャース流のカウンセリングは、本当のロジャースの論理性や合理性をきちんと踏まえたものではなく、日本流にアレンジされて広まったらしいことも書かれています。暖かく受け止めてくれる人の存在。今の日本で、何か事件だ災害だとなると、カウンセラーが派遣されこころのケアということが言われますが、おおよそこの文脈を受け継いでいるように思います。

この本全体としては、箱庭や描画の実話や体験を中心に精神療法的な世界が細かく書き込まれていて、どうやって人が深い心の世界を表現し治っていくのかということが感動的に伝わる内容になっています。まさに職人芸の世界です。
それに比べれば、一般的な文脈のこころのケア、カウンセラーが持つ響きは多少軽いようにも思えてきました。

カウンセリングや精神療法というのは、西洋で始まって日本に輸入されてきているわけですが、入ってくる経緯やその広まっていった経過によって、日本なりの展開を見ていることは確かのようで、それは、外国で今行われているものとは違ってきているし、違っていて当たり前と思わなければならないのでしょう。
日本なりの背景、日本なりの事情があり、心理職の国家資格化ということもそれを踏まえてすすんでいるのだろうということです。