絶対音感と和音感

最相葉月さんといえば「絶対音感」という著書を思い出したので、少し、音感の話を書いておきます。

私は以前この本を読んだときに違和感がありました。

 絶対音感 (新潮文庫)自分はこの本でいうところの絶対音感があるのかないのか、よくわからなかったからです。この本がベストセラーになり、多くの人が満足しているらしいことにも混乱しました。

私は3歳から10歳ぐらいまで、ヤマハ音楽教室に通っていました。
当時は耳がいい子としてよく褒められました。今でも聞いたメロディはすぐ覚えますし、即座に音階(ドレミ)で歌うことや、楽器で演奏すること、簡単な伴奏をつけることも、できます。
鳥の声や自然に聞こえてくる音を音階として聞き取ることもできます。
が、絶対的な意味での正確な音の高さを当てることには、自信がありません。
時報に使われる440ヘルツ、880ヘルツの高さを思い出してみても、半音程度ずれていることが多いです。

最相さんの本では、音階で歌えることと、絶対的な音の高さがわかることのどちらもが絶対音感として書かれていましたが、私は片方しかないということです。

その代わり、聞いたメロディは、かなり自由に、どの調でも弾くことができます。移調奏といわれるものですが、歌の伴奏などでは、歌い手のキイに合わせて音を高くしたり低くしたり。。。そういえば、私はこれを子どものときかなりやらされました。

父が家で宴会をすると、歌の伴奏をやらなければならなかったんですよね。
まだ、カラオケが普及していない頃で、歌い手さんのリズム感もかなりマイペースで、合わせるのに苦労しました。

それに、小学校6年生のときの音楽の先生が移動ド法のソルフェージュを教えたので、頭の中で、音階を移動して翻訳して対応したことも関係しているかもしれません。

とにかく、今、私の中に、絶対的なドレミの音階はありません。聞いた音は間違いなくドレミの音名とともに認識されていますが、聞こえた音名は本当の音とは半音から1音半ぐらいの間でずれていることが多く、音楽会でプログラムに書かれた作品名の調(イ短調とか変ホ長調とか書かれていますよね)を見るのが怖いです。
たいていの場合、別の調として聞こえているからです。

最近、ヤマハ音楽振興会から出ているこのレポートを見つけたのですが、ここに出ている和音感というのが、私にとってはかなりしっくりくる表現でした。
音楽を楽しむのに必要なのはこの和音感で、絶対的な音の高さは必ずしもわかる必要はないかもしれないです。

私のような状態を絶対音感というのかどうかは意見が分かれるところかもしれませんが、こういう人もいるということを、書き留めておきたいと思います。

同類の方がおられたら、ぜひコメントください。