文脈を読む力は開発できるはず

文脈ということを私がきちんと意識し始めたのは、数年前、45歳ぐらいのときです。
数人でおしゃべりしているとき、そこに川の流れのような方向性がある、という感覚で気がついてきました。

恥ずかしながら、それまでの私は、そこで話されている話題の流れよりも、主題になっている単語から連想されたことを勝手にしゃべっていました。それで流れが変わってしまおうとおかまいなしだったのですが、流れを読めていない人間に、読める人間の感じ方がわかるわけもなく、迷惑をかけているという認識は全くありませんでした。

話には「流れ」「方向性」があることに気がついてからは、楽しいおしゃべりの場面では、単語から思いついたことがあっても、流れと違っていたらすぐ発言せず、機会をうかがって話題を変えるようコントロールするのだということがわかってきました。

気がついてからは早かったように思います。

文脈についてはこの本を以前紹介しています。興味のある方は参考になると思います。
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)『わかったつもりー読解力がつかない本当の原因』(西村克彦、光文社新書


文脈ということを考慮にいれると、さまざまのことが整理しやすくなりました。

たとえば、車の運転。

自動車は速く移動できるのがメリットですから、できるだけスピードをあげたほうがいいですよね。
でも、事故を起こさずに安全に行こうと思えば、それなりにゆっくり運転しなければなりません。
二つの目的は、矛盾していますが、実際はそれを統合した形で運転が成り立っています。

見通しの良いまっすぐの道路ではスピード優先、曲がり角や交差点では安全優先と教習所では習いました。メリハリのある運転が良い運転です。これを文脈の切り替えと読むこともできます。
ルビンの壷というより、ベクトルと考えたほうがしっくり行きます。優先度の割合が、アナログに刻々と変わりながら運転していて、スピードが速まったり、緩められたりしています。


同じ事物が、文脈によっては「よい」ものになったり「わるい」ものになったりします。
ある果物は栄養価としては「身体によい」が、身体を冷やすので「身体に悪い」という風に、見る方向性、光の当て方によって評価が変わりますよね。

こういう見方ができるようになってくると、決断が楽になってきます。
議論もしやすくなってきます。水掛け論になったり、いやいや妥協したりということではなく、相手の優先度が自分とは違うことをきちんと理解したうえで、合意を結ぶこともできます。

先回りして相手の出方を読むことも、気持ちを推し量って優しい言葉をかけてあげることも、できるようになりました。

ほんの数年のあいだのことです。



文脈を読む力は学んで身に着けることができるスキルだと思います。早い人はおそらく小学生までに自然に学んでいるのですが、遅いタイプにはある種の教育が必要なのだろうと思います。
どういう学びが、文脈の読みの力を開花させるのか、問題意識を持ち続けたいと思っています。