再び「悔しい」という感情について

駅伝の選手が走り終わった後に泣いている映像をテレビで見ました。
制限時間内にゴールできなかったために、次の走者が繰り上げスタートになってしまい、たすきを渡せなかったという場面でした。

ああ、悔しいだろうなぁ。。。悔しさが私の身体に伝わってくるのを感じました。
倒れこんだまま地面を拳でたたきながらひいひいと泣いている彼は遠い場所にいて、私はただ、それをテレビの画面で見ているだけなのに、それにもかかわらず私の身体は反応していました。びんびんと伝わるという表現がありますが、まさにそのような感じです。

この「悔しい」という感情が、ほんの数年前まで、私には感じられませんでした。
今はなんの苦労もなく自然にわかるこの感情が、どうして私には無かったのか、いつから無かったのか、よくわかりません。感情の動きが全く無かったのではないのです。「悔しい」というはっきりしたレベルまで纏め上げられて来ないという感じだったと思います。
表情や言葉にそれが表れないために、クールだとか、穏やかだとか、いい方に解釈されてきたときもあるかもしれませんし、行動が不適切だと思われれてきたときもあると思います。

悔しいという感情はプライドに関わることなので、私の中の自尊心のあり方に何らかの問題があったということなのだろうと今は思います。自分を大事にしたい、大事にするのが当たり前という感覚がどこかで捻じれていました。

テレビの画面を見ながら、あ、私は「悔しい」を感じられている、と思います。
嬉しいです。

こんなことで喜ぶ人も珍しいと思いますが、世の中にはきっと似た体験をしている人がいると思います。
感情を失っている人は案外たくさんいるのじゃないかとも思います。