倫理と経済成長

倫理について書いたついでに、長年気になっていたことを書き留めておきます。

経済成長すればするほど、人は幸せになるか?という問題です。経済成長って無条件にいいことでしょうか。

GDP=国内総生産というのは、国内で生産されたモノやサービスを金額に換算して足し合わせたものだと理解していますが、これは、モノやサービスの質は気にしていません。

たとえば、

 悪性の病気が流行って、医療費や健康維持のためにたくさんの人がお金を使った

 ギャンブル依存が蔓延し、多くの人がギャンブルにお金を使った

というのも、経済成長にとってはプラスになります

 品物の品質が悪くなって、買い替える回数が増えた

これは単価も安くなっているのでトータルでどうかはわかりませんが、ゴミも増えますよね。品のいいモノが売れなくなって、悪質なものがはびこっていっている業界はたくさんあって、これもお金に換算されたときは、金額さえ上がっていればいいことになってしまいます。

モノを大事に使うことは、日本の古くからある倫理観のひとつだと思いますが、まったくここと相容れないのが、経済成長という考え方だと思います。新しいものに惹かれ古いものを捨てる生活をしなければ、活発に消費しつづけることはできないし、なにしろ、何かを買ったりサービスを利用したりしたときのちょっとした高揚感にある意味<依存症>になることで、気前よくお金を使い続けなければならないということになっている。。。。

依存ということをいうならば、自分で服の修理をしても1銭もカウントされないけれど修理屋にやってもらうと経済としてカウントされるわけで、人間が自立して自分のことができなくなるほど、経済は成長していくことになっています。ひとりで参考書を買って勉強するよりも塾に行くこと、家でサラダをつくるよりも出来合いのサラダを買ってくること、駅まで歩くよりタクシーに乗ること、など、人間の自立を損ないヤワにしていくことで経済が発展していくという側面があります。

経済成長には、貧困より裕福なのが幸せ、という側面が前面に出ている場合もあるのだろうと思うのですが、そこそこモノもサービスも溢れている今の時代に、これ以上過剰にモノやサービスがあっても、人は駄目になっていくばかりで、決して幸せにはなっていないように私には見えてしまいます。

それでも、何かを売らなければ、売り上げを上げなければ仕事としては評価されないという状況で人々は働いています。それは本当に顧客の、ひいては世の中の幸せに繋がっているのか、というようなことをつきつめて考えるとわからなくなってしまうので、とりあえず状況に<適応>しておくことになります。以前より品質の悪い品物を大量に売りさばくことや、人々をちょっとした高揚感に誘い込み無駄遣いさせることに、私たちはもう罪悪感など微塵も感じない世界に生きています。それが「経済効果」を生み出す限りにおいて「善」なのだ、といわんばかりに、テレビも新聞も騒ぎ立てます。

ほんとうに、それは善いことでしょうか。

倫理ということを真面目に考え出すと、すぐにたくさんの壁にぶつかる時代に私たちは生きている、と私は思うのですが、私の頭が固いだけなんでしょうか。