スキルは身につけるもの、技は磨くもの、便利と依存は紙一重

私たちが日常的にやっていることのほとんどは、生まれてから今までの間に身につけたスキルを使って行っています。
歩くこと、しゃべること、ものを運ぶこと、に始まって、
着替える、顔を洗う、掃除をする、料理をする、皿を洗う、
どれをとっても、少しずつ学んで覚えてきたことばかりです。
環境の中で見よう見まねで覚えることもあり、教えてもらうこともあり、
場数を踏んで洗練されていきます。

最近よく思うのは、便利と依存は紙一重だなということです。

料理ができる人が、誰かに料理を作ってもらえたら楽チンで便利です。
でも、料理を作れない人が、誰かに料理を作ってもらうことは、相手に依存しているということですよね。その人がいないと、ご飯を食べることができないわけですから。
歩ける人が乗り物に乗るのは便利だけれど、歩けなかったら乗り物に依存しなければならないです。
いろんな道具が発明されて最初は便利に使っているけれど、いつの間にか人間はスキルを失って、道具に依存するようになってしまいます。
最近の若い人がスポンジを使って皿を洗うことを知らなかった、その子の家では食器洗い機だけを使っていた、という話を聞いてびっくりしましたが、わが身を振り返れば、
洗濯機や炊飯器なしではやっていけません。すっかり依存しています。

便利になったのだから、難しいことは覚えなくていいのだ、と手放しで喜んでいていいのかなと思います。私たちはそのような日常のスキルの中で、
ものごとに段取りをつける、全体を見回し総括する、といった高次のスキルを
身に着けていくのではないかと感じることが多いからです。
それは、想像する力と組み合わさって、将来を展望する力やアイデアを生み出す力などにつながっていくようにも思います。

便利はいつのまにか依存に置き換わり、私たちは自然な形でスキルを身につけ技を磨くとができなくなっているわけですから、
私たちは意識的にスキルを身につけ、技を磨くことを考える必要があるはずです。
本来、人を育てるというのはそういうことを指すのだと思います。

スキルは身につけるもの、技は磨くもの。
人は、育てるものだし、育つものです。
なんだかすっかり見失われているように思います。