発達障害ってなんだろう

このところ更新が止まっております。眼の調子は少しずつ回復しパソコンも使えるようになってきたのですが、他の用事を優先しているうちにいつのまにやら日にちがたってしまいました。

以前書いていたブログ「雨の日は本を広げて」を限定公開しています。10年ほど前に、発達障害って何だろう、という素朴な疑問から、本を読んで考えたことをまとめたもので、情報としては古いですが、今でも有益なものもあるし、当時を知ることもできるので覗いてみてください。

最近は、生まれついた素質以上に、発達を決定づけているのが周囲の大人やきょうだいとの関係で、愛着障害とか複雑性PTSDとか言われているものを純粋に切り分けることはできないことがわかってきました。脳が育ちの違いによって実際に別な風に発達してしまうという研究もすすんでいます。発達障害ってなんだろうという疑問は解けるどころかだんだん難解になっていくようにも見えます。

でも、私自身は確かに他者の気持ちに気づくことが苦手だということが、はっきり自覚できてきたように思います。これはまず、自分の気持ちを感じることが苦手だということに起因していると考えられます。自分に、悲しさや寂しさや怖さや苦しさなどがあるということが生き生きと感じられたときはじめて、他の人たちにもそれがあると信じることができます。また、自分にイライラや焦りや不安、迷いなどが起こっているときそれをコントロールできて初めて、目の前にいる人の別な気持ちに配慮することができるわけです。

自分に起きている感情を知り、コントロールできていること。そして周囲の人に起きている感情に関心を持ち、気を配ることができること。これは、生まれた子どもを放っておいて自然に発達してくる能力なのでしょうか。周囲にいる大人が適切に子どもを扱って初めて発達してくるものなのではないでしょうか。子どもを実験台にすることはできないので、直接スパッと確かめてみることはできないけれど、私は、ある時期に自分の気持ちを感じることに蓋をして、そのまま大きくなった結果が今の自分であるような気がしてならないです。

なぜなら、私自身が今、少しずつ、自分の感情を感じることを取り戻し、周囲の人の気持ちに関心を向けようとしているからです。私にもともとその素質がなかったのではなくて、人生のなりゆきとしてそうなっていたのだと感じられます。

人の発達は、これまで考えられてきたよりずっと多様だと思います。定型と障害といった二分法で語られるような単純なものではなくて、主なタイプだけでも数種類、細かく見て行ったら一人一人違うといったものなんじゃないでしょうか。発達障害というのは、多様な発達類型の中で、今の時代、今の文化の中で何か不都合があると見えるものに対してつけられた名前に過ぎないのではないでしょうか。

今年還暦を迎えます。新しく生きたいと思っています。他者の気持ちに気づくためには、まず自分を知ること、自分を制することです。