教養コンプレックス、それはただのコンプレックス

私は九州の生まれです。

父は自営業で、私が生まれた頃は相当貧しかったようですが、小学生になったころからは、同級生と比べればお金はある方だったと思います。それでも父は、家ににいるときは野球のナイター中継にかぶりついていて、読書をしているところなど見たことがありませんでした。

お父さんがお医者さんの友達がいて、遊びに行くとクラシック音楽のレコードがたくさんおいてあったり、難しそうな本がガラス戸の書棚に並んでいたりしたのが、教養コンプレックスの始まりかもしれません。
 
九州の公立高校を出たあと、東京の私立大学で体験したものは、強烈でした。

学友の一部に、途方も無く別世界の人々がいました。資産のある家に住み、親族が軒並み高学歴で高収入の仕事についていて、本人も家族も英語が堪能。

思想史のゼミになんぞ入ってしまったものだから、ドイツ語が飛び交い、難解な本を輪読し激論を交わす人々にすっかり度肝を抜かれました。知性にもアスリートというのがいるんだな、という感想を持ったのを覚えています。

ゼミの議論にはついていけず、指をくわえて眺めているばかりでしたが、あの世界を見てしまったことが、私のその後の人生に大きな影響を与えたように思います。
 
 
『グロテスクな教養』(高田理惠子ちくま新書)は、本屋さんで何気なく手にとったものなのですが、

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))読んでみて、もっと早くこういうことを知っておけばよかったのかなと思いました。教養についての巷の常識というものを、私は知らなかったんだということです。

哲学書、ある種の文学書、啓蒙書、教養書の定番という本があって、それを読んでいることと教養というものがリンクしている世界というのが、かつて日本にはあり、おそらく今でも、そういうものが教養なのだと信じている人たちがいるのだということ。

そして、そういう<教養>は、男の子だけのためのものだと考えられてきたこと。
 
いやあ、知りませんでした。でも、そういわれてみれば、いろいろ腑に落ちることがあります。
 

私は、教養のない家庭に育ったから、教養のある人には強い劣等感を抱いてきたし、息子を育てるからには、教養をつけてあげたいと考えてきました。世界をできるだけ広く知り、人を公平に見る力をつけること。真理への探究心や社会正義への志。文系、理系を問わない幅広い知識。人類の智に対する深い理解。私が追い求めてきた教養は、男女を問わないもの、崇高なものでした。

この本に書かれているのは、もっと、日本的な諸事情に影響され発展した、日本ならではの教養主義の姿です。明治以降急速に西欧の学問を取り入れそれを実学に応用する必要があった日本では、人文書が学科の外にはみ出て教養という形をとることになってしまったんですよね。

人格形成のための素養として、受験勉強のほかに読んでおく本があるという形。

そういう常識があることも、まあ、教養のひとつだったのかもしれないです。そんなことも知らなかったという意味では、私は、箸にも棒にもかからない、ということなんですよね。

女性の教養について書いた章もありますが、結局は、ある種のエリート主義なんですよね。
 


私が大学の学部生だったころは、ちょうどニューアカデミズムの時代にあたり、教養が大衆化したといわれる頃だったようです。私もその波に乗って、思想史のゼミに入ったようなところもあります。あの場所でおそらく暗黙の了解としてあったであろう日本的教養主義の構造を私は全く知らなかったし、知らないままこの30年を、教養コンプレックスを抱いたまま過ごしてきてしまいました。

知ってしまった今、なーんだ、それだけのことか、と、思う一面もありますが、


 
学校教育できちんと教養教育をしないでおいて、へんな教養主義で差別化するなんて、やっぱりおかしいと思います。平民としては。