解離していく現代と、発達障害の関係(1)

更新のあいだが空きましたが、この本を読んでいました。

身体の時間―“今”を生きるための精神病理学 (筑摩選書)『身体の時間<今>を生きるための精神病理学』(野間俊一、筑摩選書)。読み終えて、ストンと落ちたというか、発達障害のことをいろいろ調べていたときの疑問が解けたような気持ちになりました。

キーワードは、「解離」でした。

以前から、新型うつ病発達障害とは地続きのものという感触はありました。しろうとながら、間違えられている(誤診されている)人が少なからずあるんじゃないだろうかと考え、記事にしたこともあります。(→『雨』記事

また、私は解離性障害という診断ではないけれど、身体と意識の関係については「解離」という病理に近いものを自分自身に感じてきました。

解離性障害というのはあまり聞いたことがない人もあるかもしれないですね。
俗にいう多重人格とか記憶喪失なんかも解離性の障害なのですが、フラッシュバックからけいれんなどの激しい身体症状を起こすようなものも含まれます。フラッシュバックといえば、PTSD心的外傷後ストレス障害)に多く見られるものですが、発達障害にもフラッシュバックはありますよね。

この辺りの関連性が、この本でつながりました。


新型うつ病も、広汎性発達障害も、解離性障害も、なまなましい現実から遠ざかり、遠いところから世界を眺めているようなスタンスをとるところが共通しています。そのことを、この本では、「コントラ・フェストゥム」(p.150)と表現していました。

病気のない人たちも含め、現代とくに1990年代以降の日本の若い世代には共通してこのような生き方が認められると論じられています。

その奥には、こころの外傷の記憶があり、感情を切り離して淡々と生きることによって、外傷の記憶が呼び戻されるのを防いでいるのだろうと考えられています。

傷をかばって生きるために、生々しい現実から遠ざかる。現実と自分をつないでいる身体から遠ざかる。ゆえに、解離(意識と身体の分離)が起きる。。。
この感じは、わかる気がします。

傷があるんですよね。古いこころの傷が。

では、それぞれの疾患がどう違うのか、とくに脳の機能障害とされる広汎性発達障害とこころの傷がどうつながってくるのかという疑問が出てくると思いますが、その点は、次回に書きたいと思います。