神戸に眠るたくさんの無念に祈る

東北に津波が来る前は、関西で震災といえば神戸の震災のことでした。

あの日私の住んでいた町は震度5強の揺れ、息子はまだとても小さく、布団をかぶって息子を抱きながら恐怖に耐えた記憶があります。が、それよりもより印象に残っているのは、数ヶ月たってから神戸に住む友人を訪ねたときの街の風景です。

ぐにゃりと曲がったビル、だるま落としのように一階部分がつぶれたアパート、その間にぽつぽつと空き地。

水平という水平、垂直という垂直が狂っていました。
狂った街に、ひとびとが暮らしていました。

神戸の街から電車に乗り自分の街へ戻るときに、同じ世界でつながっていることを確認している自分がありました。


今年、初めて神戸ルミナリエに行ってきました。震災に関連して始まったイベントであることは知っていましたが、行って初めて、その迫力に圧倒されました。日常が奪われ、目標が絶たれ、人生を変えざるを得なかったたくさんの人たちと、突然命を絶たれた人たち。悲しみと表現されることが多いけれど、私はここに、無念ということばを思いました。

その思いが、力いっぱい表現されていました。じんじん伝わってきました。

家族といっしょに歩いていたのですが、こうやって家族といられる日々もいつか終わる、今日はかけがえのない日であるということを思いました。歩く人々が映画のスローモーションのように見えた瞬間、涙があふれて、私は泣いていました。泣きながら、光の輪の中をすすんでいました。



再び神戸の街から電車に乗り自分の街へ戻ってきました。あの場所とここはつながっています。今だからわかること、感じられることがあり、それは私がこういう経験をしたからだろうと論じることは可能だけれど、やめておきます。ただ、たくさんの無念を思い、祈りました。