鷲田清一さんの『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川oneテーマ21)で私が一番印象に残ったことばは、「価値の遠近法」でした。
1.絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの
2.あったらいい、あってもいいけど、なくても構わないもの
3.端的になくてもいいもの
4.絶対にあってはならないもの
「いろんな社会的な出来事や人物に触れたときに、大体でいいから、この4つのカテゴリーに仕分けすることができていると、教養がある、民度が高い」(p.82)のだそうです。
ずっと発達障害に関係することを考えてきたせいかもしれませんが、まずこれは人間のスキル、磨かれた能力に関係する話なんだろうと思います。優先度を判断する力というのは、いろいろな要素の絡み合ったひとつの能力と考えられます。
でも、この能力をどのような価値にあてはめるのかは、人によって違うのではないだろうか、つまり、
A.みんなが幸せになるのが価値
B.自分が幸せになるのが価値
鷲田氏はいろんな場所で「価値の遠近法」ということを言っておられるようですが、その大前提として みんなが幸せになる 方向性があるように思います。命とか、絆とか、そういうものは絶対失ってはいけないものに分類されて当然とされているように思えるのですが、それは誰にとっても明らかなことでしょうか。
世の中を見回すと、まったく違う価値を求めている人たちがたくさんいるように私には思えます。その人たちは、価値の遠近法の能力がないわけではなくて、まったく違う基準で優先順位を決めている、それが正しいと信じている、ように私にはみえます。
私自身は遠近法の能力が弱いと感じます。意識して磨きたいと思いますが、方向性としては鷲田氏の基準のほうが間違っていないと思います。