「信用」は良い仕事をすることで積み上げるもの

「信頼」は、ときどき「裏切り」にあうことがあります。
意図せずに信頼を裏切り、信頼の絆が切れかかったり、切れてしまったりすることもあります。それを修復するのにはとても長い時間と努力が必要です。

わかっている人には当たり前のことが、私には長い間わかりませんでした。

それでも若いうちは、周りの人が自分より年上なのでなんとなく許してもらっていた部分があると思います。年をとるにつれ、だんだん今のままではだめだと感じるようになってきたように思います。30代ぐらいかな。

信頼と似た言葉に、「信用」がありますが、これは自分自身の価値に関するものです。

なんらかの「しごと」を確実に果たすことで得られるもの。人々が連携して大きな仕事を成し遂げようとするとき、この部分はこの人に任せておいて大丈夫と周りの人が認めるのは、その人に信用があるからです。

責任感とか、知的な能力とか、そういうものとは関係なく、役に立っていると認められるときに信用が生じるように私には感じられます。

「信用」も、ある日突然壊れることがあります。信用が壊れると、人々はその人を当てにしなくなり、しごとを任せてもらえなくなります。

このことも、私は長い間、わかっていなかったように思います。


私は長い間、ただ、人に受けいれてもらえている=安心、受けいれられない=不安、という文脈でしか、人間関係を捉えることができていなかったように思うのです。

性格が悪くても、嫌われていても、良い仕事さえしていれば、信用はついてくるものです。
信用されることで、自尊感情も高まります。
受けいれられようと思ったら、まず、しごとをきちんとすること。
回り道のようで、それが一番の近道なんじゃないかと思います。

これは、信頼にかかわる絆の感覚が弱くても、小さいうちからできることで、
ちょっと昔なら、当たり前に子どもの頃から身に着けてきたことなのかもしれないと思っています。