音感教育を3歳から受けたことを50歳過ぎて振り返ると

音楽教室の話が出てきたので、ちょっと補足も兼ねて書き留めておきます。

3歳から音楽教育を受けた、という話から普通連想するのは、お金持ちで学歴の高い両親とか、親も音楽家とか、そういうイメージなんじゃないかと思うのですが、私の場合は違います。

私はとても貧しい家庭の子どもでした。親の学歴は高校の商業科。
1人目の女の子だったので、親も試行錯誤中だっただけのことです。
近所に2つぐらい年上の女の子が住んでいて、その子の家にあったオルガンに私が興味を持ったらしいです。それが私が3歳の頃で、うちの両親はどんなものかもわからず教室に問い合わせをしたのが始まりのようです。
音楽教室に入る年齢は標準は4歳児であることもあとで知ったようです。周囲の子供たちはほとんど一学年年上ばかりでした。

3歳からバイオリンとかピアノとかそういう家庭とは違い、庶民的なオルガン教室にただ1年早く入ったということなのです。一緒に住んでいた年の若い叔父が、エレキギターを買ってもらえなくて、ベニヤ板をギターの形に切り抜いて色を塗り、レコードのベンチャーズに合わせてのけぞっていました。他のレコードは演歌ばかりでしたが、父は音楽教室で習った「茶色の小瓶」を聴いて喜んでくれました。これがジャズの名曲ということを知ったのはずっと後のことです。

そういう訳で、私が3歳から音感教育を受けることになったのは偶然なのですが、これが結局今までいろいろな場面で私の人生に関わってきたようにも思います。

見方によれば、これが、他の人とは違う自分を抱えこむ歴史の始まりたったようにも思います。このことは、決して特別な家の子ではなかった私にとっては、それなりに大きかったのかもしれないです。