こころの整理がついてきました

私の勉強観うんぬんと書き綴ってなんだか偉そうな感じに書いてありますが、自慢したくて書いているのではありません。

ほんとうにこれまで、なぜ人と違うのかがよくわからず混乱し自信を失っていました。
特に、息子が学校に行けなくなってしまってからは辛い日々でした。
そういう意味では、自分の周りで起こっていることをちゃんと「分析」して「俯瞰」することができていなかったのかもしれません。

これまでの私の経験を集約すると、学校というところは、ひとりひとりの人間の可能性を最大限に引き出そうとする場所ではありませんでした。私の認識が間違っていたために、息子には苦労をかけたのだろうと思います。

塾の講師をしてよくわかったのですが、どの子もかなり変わっています。それぞれに特別なのです。おおぜいをひっくるめて、お国が決めた指導要領に縛られやっとスケジュールをこなしているのが学校の実態で、そこは仕方がないと早々に諦めるべきだったのだろうと思います。
私は学校に幻想を抱いていました。息子の個性を理解し、それに合った対応をしてくれることを望みすぎたと思います。
もっと早くから、個性はうちに秘めたまま、集団行動を強いてくる学校と上手に折り合う知恵を、親子で絞っていくべきだったのだろうと思います。

子どもが学校に行けなくなり、スクールカウンセラーの口から「不適応」といわれ、「予後」などという言葉が飛び出したときには、深く傷つきました。うちの子は何も悪いことをしていないし、しんどくなった原因の半分は学校にもあるはずなのに、まるでうちの子が問題を起こしたかのような言われ方をするのは一方的だと感じました。
しかしその不満をぶつける場所はなく、うちの子が特別変わっているから不登校になるのだという論理を受けいれていくことになります。

発達障害」という言葉が認知され始めた時期でした。
特別支援教育」という制度もできました。

これにも好きなだけ振り回されたと思います。かなりの量の本を読み、数え切れないほど講演会にも行きました。でも、息子にぴったりだという「支援」のかたちには出会えませんでした。
不登校を続けているうちに息子は睡眠障害を起こし、全日制の高校を諦め通信制で学びました。ここにはさまざまな事情を抱えた生徒がいて私も勉強になりました。「発達障害」をASDという個性の部分と社会適応の「障害」の部分にわけて考えられるようにもなってきました。発達障害について考えた「雨の日は本を広げて」というブログを書き終え、今のブログを書き始めましたが、今では、息子が「発達障害」と診断されたり「特別支援教育」の対象になったりせずに済んだことを幸運だと思っています。

息子はもうすぐ24歳。多少敏感すぎる部分があるものの、優しく正義感に富んだ好青年で、気の合った友達とは長い付き合いを続けているようです。親としては自慢の息子だと思っています。私は私の学習観にしたがってこの子を育てましたし、この子もそれを受け継いでくれました。同じ年頃の他の青年たちとは違っていて当たり前だし、そのことにもっと誇りを持っていいのではないかと思います。